奥多摩旧街道・浅間尾根 (第58回 歩こう会)

 3月の梅に続いて、第58回例会は桜を訪ねる尾根道散策を企画した。当初、4月6日(土)を予定していたが6日~7日が悪天候になったため、8日(月)に延期、直前の変更となったためか、参加者が半減して5名となった。

 武蔵五日市駅発8時57分の西東京バスに揺られること小一時間、檜原村の浅間尾根登山口で下車。ここの標高は620mなので頂上までの高低差は300mほどである。辺りの木々はけぶるような新緑に覆われ始めており、山桜もちらほらと望めた。

 バス停から50mほど戻り、南秋川橋を渡って「浅間の湯」の看板を過ぎ車道を歩く。
かなり勾配がきつく歩き初めには少々こたえる登りで会った。「浅間の湯」でペットボトルの水を補充。バスで一緒だった10名程の団体が追いついて来た。この後この一行とは後になり先になりしながらの道行となった。

 「浅間の湯」を過ぎると間もなく本格的な山道になった。杉林の中をジグザグに登って行く。体を慣らすため、適宜休憩をはさみながら1時間ほど登るとやがて稜線に出て、ほどなく馬頭観音のある数馬分岐へ、仲の平への道を左に分けて尾根道を直進する。

 しばらく行くと左手に「サル石」の表示、岩の積み重なりの中にサルの手形が見えると書いてあるが、探し出すことが出来なかった。また、この稜線はかって甲州と関東を結び物資を運ぶ重要な産業道路かつ生活道路であったとの記述がみられた。

 杉林の中の淡々とした道で、若干のアップダウンはあるが歩きやすい道だ。右手は殆ど展望が無いが、左手にはところどころ開けて大岳山が望めた。

 道中での最高地点が一本杉(一本松)で標高930m。地名の由来は良く分からない。

 人里(へんぽり)集落への道を右に見送りしばらく行くと崩落しているところがあり、迂回路の指示に従って木道を進む。やがてカタクリの花が群生しているところがあり、花を踏まないように注意して一休み。例の一行も追いついてきて歓声を上げ、写真を撮ったりしていた。丁度正午になっていたので「ここらでお昼にしない?」等という人もいた。こちらはお先に失礼して先を急ぐ。間もなく「浅間嶺」と「浅間嶺休憩所」の分岐が出て来たので左手の「浅間嶺」を目指す。開けた路をしばらく歩いたが、それらしき地点が分らず、そのうち、またまた休憩所の表示が出て来たのでそちらへむかった。先ほど別れた道と合流してすぐに広場に出た。屋根つきの休憩所の外、テーブルとベンチがあり、数人の人が休んでいた。やまざくらがちらほらと咲いていた。この先の斜面を登った所が浅間嶺展望台。「浅間嶺」の表示があり、山頂と間違えやすい。そこそこの広さである。

 北側には三頭山・御前山・鋸尾根・大岳山等の展望が開け、南には笹尾根越しに真っ白な雪をかぶった富士山が望めた。

 ここで昼食休憩。例によって田中典明さんがバーナーを点火して、魚やソーセージ等を焼き、皆に振舞ってくれた。日本酒や焼酎も出され、ちょっとした宴会となった。

 昼食にたっぷり時間を執ったので、下山に掛ったのは午後2時過ぎとなった。展望台から時坂峠を目指しふかふかの落ち葉を踏んで緩やかに下って行くと、やがて急な下りとなり、石混じりの足場の悪い道となる。

私は昼食時のアルコールが些か堪えて足元がややおぼつかないありさまとなった。阿萬さんが気遣ってくれ、なんとか悪路を踏破。

 峠の茶屋まで下ると舗装道路となった。ここからは北側に御前山を見ることが出来る。茶屋からはしばらく車道を歩き、時坂峠からまた山道と車道を交互に下って行く。

 冬季に凍結するという払沢の滝入口に着いたのがもう午後3時半になっていたので、滝に寄らずバス停に向かう。西東京バスで武蔵五日市に戻り、それぞれの帰路に向かってお別れとなった。参加者・阿萬和水・田中典明・時子・松永政弘・梅谷覚雄以上5名。