古代蓮の里とさきたま古墳公 (第66回 歩こう会)

 第65回歩こう会は大霧山に5名の参加でしたが、今回は平地歩きということもあってか12名のかたがたに参加いただき盛会となった。埼玉県の北部行田市の史跡と花を観賞するハイキングである。

 今年の梅雨明けは例年よりやや遅く、当日も曇り時々雨の予報だったので雨に祟られるのを覚悟の上の強行である。

 JR行田駅前8時50分発のシャトルバス(この時期のみの臨時運行)にすし詰めとなって「古代蓮の里」へ向かう。市内循環バスのため大回りして25分の旅で目的地に到着。

 行田の古代蓮は昭和46年にこの公園に近い公共施設の建設工事中に地中から発芽、自然開花したもので行田市の天然記念物に指定されている。

 園内に入るとすぐに世界の蓮池があり、世界各地の蓮40種今日が栽培されている。そこから奥に進むと東西に分かれて古代蓮池があり東側が3,000㎡、西側が1,800㎡という。群生する古代蓮が一斉にピンクの花を開いているさまは壮観である。さらにその先にはスイレンやその他の水生植物を集めた水生植物園や水鳥の池などが点在し、広大な公園となっていた。集合時刻を11時半と決めて三々五々園内を散策。時間内に全部見てしまうのが困難なくらいのスペースだ。

 入口右手には「古代蓮会館」(入場料400円)があり蓮に関する様々な資料を展示しているほか、高さ50mの展望台があって園内が一望のもとに見渡せる。この日は上から見ると水田に種々の古代米で描いた古代人と埴輪の田んぼアートを見ることができた。

 全員時間通り揃ったところで、次のターゲット「さきたま古墳公園」へ向かう。地図を見ても田舎の道はわかり難いので、古代蓮の里公園入口の売店で訪ねたうえで出かけたが、途中旧忍川にかかる新橋の辺りでどの道を行くか皆でひと思案。どうやらこの方角だと衆議一決して水田の中の小高い畦道を進むとやがて前方にこんもりした土塁様の森ガ見え、「あれがきっと古墳に違いない」と一同元気づいたが、あとで確認すると2㎞程度の道のりがやけに遠く感じられた。

 「さきたま古墳公園」は大小9基の古墳が現存し、昭和13年に国の史跡に指定されている。円墳としては日本で最大の「丸墓山古墳」以外はすべて前方後円墳である。

 我々一行が辿りついたのが「稲荷山古墳」昭和43年の発掘調査で(金錯銘鉄剣・帯金具・勾玉・鏡などの副葬品)が出土し、昭和58年に一括して国宝に指定されている。

 高さ12mの後円部の頂に登ると2基の埋葬施設が復元されていた。目の前には「丸墓山古墳」がある。墳頂にはちらほら人影も見える。このあたりには桜も多く、春には花見も楽しめるということだ。

 次々に後から人々が登ってきたのでお願いして、「丸墓山古墳」をバックに集合写真をパチリ。全長120mの前方墳部はあとから復元されたものだそうでそちらへ階段を下る。下に下りた所でさらに写真を撮り、「さきたま史跡の博物館」に向かう。東の方角には昭和27年に発掘された「将軍山古墳」(横穴式石室を建物の内部から見学できる)や武蔵野国では最大全長138mの「二子山古墳」があるが、割愛することにして、頃合いもよし、小さな蓮池のほとりで休憩することにした。

 さいわい雨も降らず日も照りつけず、さわやかな風が吹いて絶好のランチタイムだ。ベンチや芝生に分かれ、思い思いに弁当を広げ、い つものように戸次さんがら頂いた黒糖焼酎やおつまみもあって、賑やかな昼食となった。目前には今が盛りの古代蓮が風にそよぎ、心洗われる景色だった。

 昼食を終え、石田堤跡(石田三成が忍城を水攻めした際の堤の跡)を後に「さきたま史跡の博物館」へ。この施設の周辺には小型の古墳群のほか薬草植物園や、はにわの館・移築古民家などが点在している。また埼玉県の(県名発祥の地)の碑もある。

 「さきたま史跡の博物館」には国宝展示室があり、「稲荷山古墳」から出土した金錯銘鉄剣のほか古墳群と周辺の遺跡からの出土品が展示されている。ここは昭和44年に古墳群が「さきたま風土記の丘」として整備された折に「さきたま資料館」として建設され、平成18年に埼玉県の史跡を調査・保管・管理する県立博物館として再出発したものとのこと。

 ここと次の行田市郷土博物館は先の古代蓮会館との連携で入場料が半額になっている。各自適宜見学することになった。

 古墳公園を後にして最終目的地「水城公園・忍城跡」へと向かう。古墳群を南北に分ける県道77号線にいり、北上すると武蔵水道に沿ったさきたま緑道とその先の新忍川を渡る。その先を一筋早く左折したため200mほど元に戻ったようなまわり道をしてしまった。本来の道に戻って途中県道66号線を横切りひたすら直進2㎞程歩くと左手に行田市立南小学校たてものがあり、間もなく左手に水城公園があって、ここは春の桜や夏の10万本のあおいなどが見事だそうだが、うっかり見逃して通り過ぎ、その先の行田市バスターミナルまで来てしまった。

 ここまで来たところで戸次さんが「疲れたので忍城には行かず、バスでJR行田駅にむかう」とのことで一行と別れることになった。

 市役所の脇を抜けると忍城跡。この城は室町時代の築城で、豊臣秀吉の小田原攻めの折、石田三成の水攻めに耐えた故事で名高い。映画「のぼうの城」(野村萬斎主演)の舞台になったところだ。本丸を含む城の建物は幕末まで落城せずに残ったが、明治に入り取り壊されたもので、昭和63年に三階櫓が復元され、本丸跡には郷土博物館が開設された。 

 三階櫓は一見小型の天守閣と見まがうほどの立派なもの。博物館の入口には「忍城おもてなし甲冑隊」がいて土・日・祝日には観光案内や観光客へのサービス、演舞などを披露しているそうだが、この日は他所へ出向いているとかで、甲斐姫役と足軽役の二人しかいなかった。この博物館も自由参観としたが展示物を閲覧したり三階櫓へ登ったりで皆さんゆったりと過ごし、ここを出たのが午後2時を回っていた。

 この後大手門から国道125号線を経由して秩父鉄道行田市駅まで歩き解散した。

参加者
(戸次笛子・生田陽代・江藤浩一・小野二六・竹上英文・土田謙二・永野基昭・野田和文・松岡幸秀・松永幸一・溝部憲治・梅谷覚雄) 以上12名

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