比企三山の最高峰・大霧山(767m)へ (第65回 歩こう会)

 5月26日(月)の午前9時に東武東上線の小川町駅に顔を揃えたメンバーは後述の5名。

 この日の天気予報は「曇りのち雨」とのことで、駅に降り立ったときにはややガスッており、いまにも降り出しそうに見えた。

 駅前のバス停から9時20分発・皆谷行きのイーグルバスで登山口の橋場へ向かう。このバスはスイカが使えないのでバスの両替機で小銭に変える。バスは街中の道を抜け次第に草深い集落を辿って進む。我々一行の他に五人ほどいた乗客は途中で降りてしまい貸し切り状態。和紙の里に立ち寄ったりして、9時44分に橋場バス停に着いた。

 槻川にかかる橋を渡り、栗和田に向かう車道を歩いて行くが、かなり急な勾配だ。曇っているが蒸し暑く、早くも汗が滲む。何度かカーブを繰り返し登ったが、どうやら途中で近道となる山道を見逃したらしい。

 途中上から降りてきた男性が駐車していた車に乗り込みながら「ポピー畑に行って来たが丁度満開で素晴らしかったよ」と言っていた。

 およそ30分ほどで左に入る山道の表示を見つけそちらに向かう。農家の前を横切るが、中年の女性が畑の手入れをしていたので、挨拶をして通る。斜面にはミカンやカキの木が植えられている。しばらくはなだらかだったが途中からかなり急坂もあって一苦労だ。曇っているため本来見えるはずの大切り山も見えない。

 右手に一基の石仏をやり過ごして間もなく再び車道に出た。直進すると峰の集落、右方面は秩父高原牧場へ通ずる道だ。ここが標高538mの粥新田峠だ。ところが入口の道標には「粥仁田峠」と記していた。左手の山道に入ると休憩舎があり、大きな道標の看板が立っていた。小休止して汗をぬぐい、喉を潤した。峠の手前に車を駐車した夫婦がハイキング姿で降りてきたので、我々も大霧山目指して午前11時スタート。

 稜線通しの登山道に入る。登り始めはやや急であったが、すぐに灌木帯のゆるい快適な登りになった。ところどころに空木(ウノハナ)の白い花がこぼれていたが、見上げてもどの木かよくわからない。

 しばらく進んだ所で、巻道を右に分けて木の階段が現れた。直進したらこれがはなはだしい急坂で滑りそうになりながら木の根につかまってよじ登った。登りつめるとまた緩やかな道となり、降ったり、登ったりしながら頂上を目指す。最後のやや急坂を登りきったところが大霧山山頂だ。三等三角点とベンチがある。時刻は11時20分。

 本来なら大霧山山頂からは北側と北西側の展望が開け、北西には両神山や武甲山、北には牧場(手前に広大なポピー畑)の遙か彼方に赤城山、南東には笠山と堂平山を望めるはずで、展望図も設けられていたが、残念ながらこの日は霞んでいてまったく展望はなかった。

牧場の方から男女4人連れが登ってきたが、やはり、「ポピー畑が見ごろで、感激した」と話し、携帯の写真を見せてくれた。

 昼食を摂ることにして思い思いにベンチや草の上に腰を下ろし持参の弁当を広げた。幹事(梅谷)が持参したコッフェルでお湯を沸かし、インスタントコーヒーで一服。

 そのうち少し空が明るくなってきたらしく、「ポピー畑が見える」との声が聞こえたのでその方向を見てみたが、ぼんやりと赤い色が広がっているのみではっきりとは見えなかった。

 正午に4人連れの後を追って山頂を出発。稜線を南に下る。ところどころ急坂もあるが全体に歩き易い下り道だ。東南一帯は牧場地で道の左手には牧場の鉄条網が続いている。放牧の牛の姿はなく、また笠山や堂平山も見えない。ひたすら黙々と先を急ぐ。

 しばらくしてやや登り返したところが二子山(724m)の小ピーク。この先の檜平で90度左に道を採り、急坂を下ると名もなく白石集落と定峰集落を結ぶ旧街道と大霧山から定峰峠へ降る尾根道(関東ふれあいの道)が交差する旧定峰峠だ。

 旧定峰峠には道標があり、石の祠やダイダラボッチ伝説の説明板が設けられていた。

 ここで先行する4人連れに追いついたので、道を左に採り、経塚バス停方向へ向かう彼らの後に続いて我々も経塚を目指す。

 いったん林道に下りるが800mほどで山道に入り、雑木林の中の歩き易い道を下って行く。途中で山草の名前を図鑑で調べていた一行を追い抜いて我々が先行することに。やがて橋を渡りしばらくすると再び林道に出て、沢沿いんのだらだらとした道を下る。まだかなり先だと感じていたのに突然人家の脇に出てそこが経塚のンバス停だった。

 時刻は午後1時25分。小川町行きのバスは午後2時2分発なのでかなり間があるため、車道を歩くことにした。右手は山。左手は沢が流れ対岸は槍山となっている。5~6分ほどの間隔で数戸の人家がありバス停がある。どんどん車道を歩いて行き、午後2時10分に皆谷のバス停に着いた。

 すぐにバスがやって来て、乗り込むと例の一行が乗っていて小川町まで同乗した。

 小川町着が午後2時35分。ここで解散としたが、「ひとまず雨に会わずに良かったね」と言いながら、全員東武東上線に乗り、川越市駅以降三々五々分かれて帰路に着いた。

参加者
(生田陽代・松永政弘・松永幸一・溝部憲治・梅谷覚雄)以上5名

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