色付き始めた源氏山公園の紅葉(晩秋の鎌倉散歩) (第69回 歩こう会)

 予定していた「表妙義の中間道」が参加希望者がほとんどいなかったことから中止となり、替って急遽実施となったのは、鎌倉の寺社を訪ね秋の紅葉を愛でようというプランだ。今度は総勢15名の賑やかな歩こう会となった。

 11月22日(土)午前9時過ぎに江ノ電の長谷駅に集合。鎌倉をすべて一日で回るのはとても無理。今回は長谷から鎌倉大仏を辿り、裏大仏ハイキングコースから源氏山へ向かい、化粧坂から扇ヶ谷へ下り鎌倉駅に戻る約8㎞の散策だ。

 前日まで愚図ついた天気が続いており、当日もあなり好天は望めそうにないとの予報であったのだが蓋を開けて見ると絶好の秋日和となった。

 長谷駅で降りて線路を渡り、県道32号線に出るとすぐ左手に収玄寺がある。この寺は日蓮宗の寺院で日蓮の高弟であった鎌倉武士の四条頼基(官位が左衛門尉=唐名・金吾であったので四条金吾ともいわれる)の屋敷跡に建てられ山号を四条院といい、境内にある「四条金吾邸址」の碑文の揮毫は東郷平八郎。ちょっと立ち寄ってみるとこじんまりとしているがなかなか風情のある寺で、秋の気配が漂っていた。

 収玄寺から北へ向かって長谷観音バス停を左折。だらだら坂の突き当りが海光山・慈照院。(長谷観音)として親しまれている。浄土宗系の単立寺院で本尊は十一面観音(重文)坂東三十三箇所霊場の四番札所。山門の「長谷寺」の赤い提灯が目につく。10時集合と決めて自由参観。

 山門左手の受付で拝観料300円を納めて境内に入ると、眼前に妙智池と放生池。観音堂に登る背後の斜面を含め、あたり一帯はかなり紅葉が進んで色鮮かだ。石段を上がって観音堂に入り、本尊の十一面観音を拝観。奈良の長谷観音と同じ造りという。撮影禁止。観音堂に右手には阿弥陀堂・鐘楼・地蔵堂などが立ち並び、左脇には宝物館(梵鐘=重文・十一面観音懸仏=重文など展示だが改修工事中で観覧できず。その左の大黒堂の前には石造りの観音があり、台座が高浜虚子の句碑となっていた。さらに進むと見晴し台になっており、江の島や逗子が一望できた。久米正雄の胸像がある。

 長谷寺を出て長谷観音バス停に戻り県道を進むとすぐに光則寺の石の道標があったが左に向かわずそのまま直進してしまい後戻り。

 行時山光則寺は日蓮宗。開山は日朗上人で日蓮上人を祀る。日朗が土牢に幽閉されていた北条時頼の重臣宿屋光則の屋敷内に建立された。本堂前には樹齢二百年の海棠があり鎌倉市の天然記念物になっている、4月の満開時には見事だ。拝観料100円。

 比較的小さな寺だが四季折々の花が咲き、「花の寺」として知られている。この日は紅葉がまだ色付き初めであったが、山茶花やセンリョウの赤い実が目についた。山門右手から坂を上って日朗が幽閉された土牢を訪ねた人もいたようだ。

 次に訪れたのは鎌倉大仏。山号は大異山。高徳院・清浄泉寺といい浄土宗の寺院だ。本尊は阿弥陀如来坐像(国宝)。鎌倉後期作の青銅造りで台座を含めた高さは13.5m。拝観料は200円。胎内めぐりには別途20円。境内には与謝野晶子の(鎌倉や みほとけなれど釈迦牟尼は 美男におはす夏木立かな)の句碑がある。大仏像の前は大勢の人々が群れていて、入れ替わり写真撮影をしていた。いろんな国の言葉が飛び交っていたが、いずれの国とも判然としなかった。10時40分に点呼を採って大仏ハイキングコースへ。

 県道32号線を山側に進む。車の往来が激しい。大仏トンネルの手前で右手の階段を登る。結構な急勾配だ。すぐに尾根道になりそうに見えたがなかなか上に着かない。途中出会った人に聞くと後10分位は掛るという。ふうふう言いながらやっと尾根に出た。
分岐を右に向かい源氏山公園を目指す。雑木林の中の道でアップダウンの繰り返し、足元は木の根が張って歩き辛い。行き会う人もまれな道だ。あたりの樹木はうっすら色付いていた。最後の急なひとこぶを登りつめると左右に人家が広がり、右手に鎌倉の街並みと海が開けた。

 この辺りから急に人が増えてきた。源氏山公園の入口で右に折れ急坂を降ると銭洗い弁天。そろそろ11時半になろうとしていた。12時集合で自由行動。

 入口に「宇賀福神社」の石碑があり、鳥居をくぐって洞窟に入る。源頼朝が宇賀福神の夢のお告げに従って霊水を発見したため、天下泰平を宇賀福神に託して創建した神社という。洞窟の奥に市杵姫命(弁財天)を祀っており、霊水でお札を洗うと何倍にもなるという信仰がある。みんな並んでじゅんばんを待っており、狭い洞窟内は芋の子を洗う混雑ぶりだった。

 ふたたび急坂を登り源氏山公園に到る。化粧坂切通しの先の急坂を登って頼朝の像が立つ広場に出た。この辺りは紅葉がかなり進んで赤や黄色が目に鮮かだ。適宜腰を下ろして昼食タイム。その後、頼朝像をバックに記念撮影して源氏山公園を後にした。

 化粧坂を降るが急坂の上石が凸凹していて滑りやすいので恐る恐る降りて行く。途中に歌舞伎でも有名な悪七兵衛景清の土牢がある筈だが目立たないせいか見落としてしまった。

 扇ガ谷に下りて左折すると間もなく海蔵寺だ。山号は扇谷山、臨済宗の寺院だ。山門の付近は七分方紅葉していた。山門の右手に鎌倉十井のひとつ「底抜けの井」があったが由来の華やかさに比べ地味なもので井戸という感じはしませんでした。  

 拝観料は無料だが資料代として100円を志納する。境内に入ると正面が「龍護殿」と呼ばれる本堂で十一面観音を安置している。右手には鐘楼と庫裏があり紅葉の最盛期には見事だろうと思われた。左手には仏殿(薬師堂)があり本尊の薬師如来(別名啼き薬師)が祀られている。薬師堂の左手奥の山際には「十六の井」(拝観料100円)があるがスキップ。

 元の道に戻って、化粧坂入口を過ぎJR横須賀線の下をくぐるとすぐ左手に八角のお堂・海蔵寺岩舟地蔵堂が見えてきた。建物は新しいが頼朝の息女・大姫の念持仏と伝えられる木彫の地蔵を安置している。

 地蔵堂の200mほど先を左折してさらに200mほど進むと浄光妙寺入口。泉谷山浄光妙寺は真言宗泉涌寺派の寺院で開基は北条長時、本尊は阿弥陀三尊坐像(重文)。   

 山門をくぐると左手に客殿と庫裏、右手には不動堂がある。不動堂前の楓はすでに紅葉が始まっていた。ここまでは拝観料は不要。この奥に阿弥陀堂と収蔵庫があり、収蔵庫には阿弥陀三尊坐像(重文)ほかの寺宝が収納されており拝観料は200円。時刻も押していたのでこちらは割愛させていただいた。

 JR横須賀線に沿ってやや南に下り、踏切を渡る。英勝寺は少し折り返し総門(閉鎖中)の前を通過して通用門から入る。ここは最近になって一般公開されるようになったらしい。無人の受付に300円を納めて境内に入る。 

 東光山英勝寺は浄土宗の尼寺で開基は家康の側室で太田道灌の後裔とも伝わるお勝(英勝院)。1636年に太田道灌の屋敷跡に建立されたもので、英勝院が養母を務めた初代水戸藩主の縁で庵主は代々水戸徳川家から迎えたという。

 本尊阿弥陀三尊像・仏殿・唐門・鐘楼・祠堂(英勝院の墓廟)は神奈川県文化財に指定されている。尼寺らしい静けさで椿が紅い蕾を膨らませている。、書院の裏には見事な竹林があり散策路が出来ていた。

 続いて隣接する寿福寺に立ち寄った。亀谷山寿福金剛禅寺という臨済宗建長寺派の寺院で鎌倉五山の第三位。開基は北条政子開山は栄西で本尊は釈迦如来だが境内は非公開となっている。総門を入り参道を進むと色付き始めた紅葉が出迎え。山門脇から左に続く路を裏の墓地へ向かう。北条政子・源実朝のやぐら(岸壁に掘られた墓」がある。陸奥宗光・高浜虚子・大仏次郎などの墓もあるというので探したが見つけられなかった。

 松岡幸秀さんご夫妻・松永政弘さんご夫妻とはここで別れ、寿福寺からは10分足らずの鎌倉駅に着いたのは午後3時前。この後、駅近くの店で軽く反省会の後解散した。

参加者
(生田陽代・葛城征志・坂井大和・竹上英文・土田謙二・野田和文・野村聡・松浦靖弘・松岡幸秀・美知子・松永幸一・松永政弘・紀久子・溝部憲治・梅谷覚雄) 以上15名

※以下の写真データをご入用の方は東京四極会事務局へお問合せください。